番外編

2018年4月20日

昨日、大阪府立図書館に母の遺品の中国語の本を持って行きました。(少しだけ私の日本の本も入れています。)

数が多いので、自分では何冊か数えていなかったのですが、今日、図書館から連絡があり、799冊もあったとのこと。

その内、何冊が図書館に置いてもらえるか分かりませんが、置いていただけたら有り難いです。

2017年10月31日

27日に母が亡くなりました。

2007年2月に脳梗塞で倒れてから11年近く頑張っていましたが、遂に逝ってしまいました。

2006年秋まで働き、やっと落ち着いてゆっくりと暮らし始めたばかりでした。

その日は妻が母のマンションに行っていたのですが、母が体の具合が悪いようなことを言っていたので、一応病院に行こうということで病院に連れて行きました。

私も仕事が終わってから病院に行ったのですが、お医者さんからは脳梗塞と言われました。

母はこの時点では元気で私に「何ともない。もう帰れ。」と言っていました。

しかし、その日のたった一晩で身動きが出来ない、しゃべることも出来ない、口から食べることも出来ないという状態になってしまいました。

その後、お医者さんからはもう諦めるように言われましたが、本人の強い生命力で持ち直しました。

体は全く動かすことが出来ませんが、目は見え、耳は聞こえ、首を回すことと泣くことだけは出来ました。

意識もあり、思考力も残っていました。

私が会いに行くと私の顔を見ていつもすぐに大声で泣き出しました。

本人はしゃべることも出来ないので、言いたいとも言えず、どうしようも無く、つらかったと思います。

何もしてあげられない私自身もつらかったです。

ただ、昨年と今年、母のひ孫(私の孫)が生まれましたので、写真を見せると泣いて喜んでくれました。

この11年間で良かったことはこのことくらいだったと思います。

最後は、10月23日(月)午後に誤嚥性の肺炎になって危ないと病院から電話があり、病院に行ったのですが、行ったらすぐに持ち直してくれて一安心。

水曜日にも会いに行きましたが、特には問題なく、普段通り落ち着いていました。

しかし、木曜日の夜にまた病院から電話があり、呼吸が止まりそうということですぐに病院に行きましたが、1時間ほどで落ち着いてきて、静かに寝だしたので安心したら、夜中の3時頃に再度呼吸が苦しくなり、3時35分に逝ってしまいました。

本当にしんどい10年9ヶ月で、ストレスもメチャクチャたまっていただろうと思います。

よく頑張ってくれました。

母は、中国の上海で生まれ、戦後、言葉が分からない日本に来て苦労しながら子供二人を育て、離婚もし、72歳まで働き続けました。

今後は空の上から家族の成長を見て、幸せを感じて欲しいと思っています。

長い間、本当にありがとう。